Sayalay's Dhamma book

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ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー12

「自我」ありと「無我」の論争の拡大

前述の通り、「無我」仏教の本質であり、仏法の心臓であるがごとくに重要であり、どのような時代であっても、どのような地域・場所にあっても、それは、思想家及び苦痛から解脱したいと願う人々が最も愛する命題であって、これまで例外があったためしは、ない。

特定なものの見方を好まないヨーロッパの学者でさえも、自然とこれらを、彼らの考察のよき題材とし、かつ研究をした。

彼らは、「無我」は、仏教の、他の宗教とは異なる唯一、特殊な教法であると考えた。

しかし、ある種の西洋の研究者の中には、仏教の観念について、誤って導かれ、その結果、誤解している人もいる。

たとえば、彼らは、大乗仏教の観点に非常に傾倒する傾向があり、小乗仏教は、仏陀の真意を表していない、と考えている。

さらに重大なのは、ある種の人々は、無意識にではあるが、ほかの宗教の観点、例えば《奥義書》のヴェーダンタ哲学を仏教の教理であるとしている。

また、これらの研究者が非常に有名であること、高度な教育を受けていること、高度の学術的地位を有していること、または世界的に重要な大学の教授や講師をしているがため、多くの人はそれを信じ、彼らの観点を追随し、そのためにさらに多くの論争が生じ、将来的にこの命題を研究しようとしている者の困惑と混乱を引き起こした。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>