Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~水で書かれた経を読んでみようか

先ほど、インターネットで注文しておいたCD

ラジカセが届きました。

タイやビルマでもらった、お経のCDを聞く

ためです。

さっそく、タイでいただいたお経のCDを

セットしてみました。

なつかしいなぁ、タイ語のお経。

タイは早くから仏教を受け入れたために、

タイ語の中にたくさんのパーリ語が、

日本でいうところの、英語のカタカナ

外来語のように、混じっている。

タイ語のお経自体は、あまり理解でき

ないけれど、タイ語の合間に、時々

聞こえてくるパーリ語から、これは

何のお経かなと推測したりする。

森の中のお寺で、竹でできた小屋(クティ)

泊まり、ろうそくの光を頼りに、クティと

座禅堂を行き来し、一日一食の托鉢食を

いただいていた頃が、懐かしい(タイの

森林派は一日一食です。午後チョコレート、

チーズを食べることはOKです)。

 

CDを聞きながら、<I am that>という本

を読む。今流行の、アドヴァイタと呼ばれる

人が書いたものらしいけれど、私には

そんなレッテルは、どうでもいいのです。

著者ニサルガダッタ・マハラジの言葉に、

私は多く、同意するものです。

マハラジ:「自分のものであれ、他人のもの

であれ、観念に注意を払っている限り、

あなたは困難に陥るだろう。しかし、

もしあなたがすべての教え、すべての本、

すべての言葉で表されたものを無視し、

あなた自身のなかに深く潜り込み、

あなた自身を見出したならば、

これのみが、あなたのすべての問題を

解決するだろう・・・」

私たち仏教徒はお経を読み、アビダルマを

研究しますが、実は、問いも答えも最初から、

自分の中にあるのです。

悟ってみると、お経など必要なかったのだ、

とわかります。

このことを、古の人は、<心の中には

水で書かれた経がある>といいました。

暑いので、水で書かれた経を読んでみた(笑)。。

(お経や論蔵から、ありったけの知識を

仕入れたならば、それがあなたの障碍に

なります。私たちは、書物で知り得た

知識や先入主によって悟るのではなくて、

先入主から解き放たれた時にこそ、

悟ることができるからです。)