を超越する~
究極的な意義から言えば、すべての宗教は、
同じ目的ーー永恒の安楽を目標としている。
そうではあっても、我々は依然として、
以下の問題を考えてみる必要がある。
なぜ、ある種の宗教は、比較的高次である
と考えられ、ある種の宗教は、比較的低次
だと考えられているのか?
そして、あるものは比較的深く、あるものは、
比較的浅いのか?
その答えは、各々の宗教の創始者の、
永恒の安楽に対する境地への理解と体験が
異なるが故である。
ところの永恒の安楽は、天帝(=神、
ヤハウェ)の天堂(=天国)であり、
しかし《奥義書》時代の婆羅門は
「最高自我」(paramātman)、または
その他の人々のいう「梵」(Brahma)
(+が永恒の安楽)であった;
仏教は、それは涅槃であると言い、
または、人々の心の中で、完全に「自我」、
梵、上帝、天堂などに執着しないこと、
または、それらを「自我」とみなして、
何らかの対象と合一しようとしないこと、
とした。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>