涅槃という、この抽象的な境地は、決して
物質的な存在ではなく、いかなる明確な、
特殊な味も持っていない。
ゆえに、感官の接触を通して、それを
認知することはできない。
ある種の事物は、感覚、記憶、それから
(+それに)満足するか不満であるかに
よって、認知することができるし、また、
我々は、涅槃によって生じた楽受を
体験することさえできる。
しかし、これらはすべて、心の中に存在
する一種の感覚であり、時間とともに
変化する。
(+それは)触る事ができるが、なにか
の要素による影響によって、変化する;
無為法である涅槃は、そのような感覚で
はなく、かえってこれらより、さらに深い。
要するに、無為法は言語で表現するのが
非常に困難である。我々は、自分自ら、
はっきりとそれを体験・証悟するまで、
ゆっくりと落ち着いて研究し、それを
観察しなければならない。
現在の所、我々は、涅槃は現象界に所属
するものではないということ、いろいろ
な方面において、有為法とは異なって
いること、とだけ言える。
確実に言える事は、それ(=涅槃)は
安定的に存在しており、虚妄・幻想では
ないということで、我々はこの種の境地を
「無為法」または「本体(ママ)(=実体)」
(本来の面目)と呼ぶ。
(+ )(= )訳者。(つづく)
訳者コメント:ブッダダーサ尊者は大乗を
否定しない。特に禅宗の<空>概念が
好きで、「六祖壇経」のタイ語訳出を
されている。
上記「本体」は通常、<実体>と訳され
ることが多い中国語ですが、後々、
別の「実体」が出てくると困るので、
ここでは直訳の(ママ)としました。
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>