半年ほど前、隣町であった「仏教史講座」に
参加した時、「外道」という言葉が
でてきました。
講師の先生が、中国語のできる私に
外道という言葉は、相手を貶し卑しめる
ニュアンスがあるかどうか、尋ねられ
ました。
私は、少なくとも中国語で外道(waidao)
と言う時、相手を貶したり卑しめたりする
ニュアンスはなく、ただ、<仏教とは異なる
意見を持つ人々>という意味しかない、
と申し上げました。
実は、私も、子供の時に見たテレビの中で、
悪代官みたいな人が「この外道めが!」
と吐き捨てるように罵るのを聞いて、
外道というのは、相手を否定し、相手を
ののしる言葉だと思っていたのですが、
それは誤解であり、元々の中国語でいう
外道(waidao)は、中立語です。
先生は、それはよかった、とちょっと
ほっとされていました。
仏教徒は本来、自分と異なる意見の者とも
争わないし、上から目線で見下したりは
しない、と思います。
自分の意見ははっきり述べるけれども、
感情的になる必要もないし、相手を見下げる
必要もない。
だから(中国語で)「他是外道」と言って
も、そこに否定的な、悪感情はない。
ことほど左様に、仏教徒は礼節を弁え、
紳士、淑女でありたいもの、です。