Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー28

[末迦利瞿舎羅ーー生命は自然な運行を

しており、(+何らかの)エネルギーに

よって、汚染されたり、浄化されたり

することはない]

末迦利瞿舎羅(Makkhaligosāla)は、

以下の観点を持っていて、かつ、この

観点に基づいて、彼の信徒を指導した。

生命とは、完全に自然なる一塊のもので、

それは、自己の特性に応じて、自然に運行

している。

それは、そうあるべきだとおもわれる

一種の状態になった時、停止するか、

または痕跡を残さないで自動的に

消滅するまで、絶え間なくその状態に

とどまり続ける。

人は、それを行善または悪をなす「自我」

となすことはできず、またそれを改変する

こともできないし、更には、輪廻を停止

させる、または解脱を得るために、

自己の浄化を加速しようなどと考える

必要はない。

実際にそのようにしても、もともと何も

しなかったのと同じ結果になる。

これはちょうど、一塊の糸の玉を、一人の

人がその端を持ち、この玉を放り出して

転がすならば、玉は、転がりながら

解けてくるが、転がれば転がるほど玉は

小さくなり、玉が最後まで転がり終わると、

己自身で、止まってしまうので、人が

止めたりする必要はない。

生命も同様で、それは生死輪廻の中で

転げまわっているが、同時に、己自身で

解けてきて、純潔になってくるか、または

自動的に解脱する。

誰もこの過程を加速させたり、引き延ば

したりすることはできず、故に、それを

汚染したり浄化したりする原因も、

エネルギーも存在しない。

いわゆる「よい行為は浄化の因、悪い行為

は汚染の因」というのは、ただ人をだます、

見かけ倒しの看板にすぎない。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>