Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー29

 

この観点は、ある種の人々にとって、

願ったりかなったりである。というのも、

彼らは、(+自分自身では)何もしなくて

もよく、(+物事が)自然に発展していく

のを待てばいいだけだから!

これは一種の、自己を否定し、自己の能力を

否定する哲学である。

この観点と仏教とが異なるのは、仏法は、

我々に清浄、不清浄は、因と縁により、

もし、我々がなんらかの因と縁を造った

ならば、その因と縁によって、清浄で

あるか不清浄であるかは加速され、

ゆえにその結果として、因と縁を造る心・身

にも影響を与えることになり、

言いかえれば、我々自身に影響を与えるの

である、と言う。

出世間のレベルにおいては、仏法は世事は

すべて「無我」であるとは言うが、しかし、

仏教は、穢れと徳行の存在を否定しないし、

このような状況を作り出す因と縁も

否定しない。

末迦利瞿舎離の観点は、現代科学の進化論

と合致する。たとえば、すべての有機物は

自然に進化するし、かつ、順序に従って、

比較的高度な生物へと進化していく。

進化論とこの理論の違いは、進化の過程で、

我々は、因と縁またはエネルギーを

創造することができるし、それによって

その進化を阻害したり、緩めたり、

促進したり、または加速したりする

ことができることである。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>