Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー38

仏陀は、この種の理論を排斥した。

それを「霊魂(ママ、以下同様)」と呼ぼうが、

他の名称で呼ぼうが、それを覚知する

ならば、完全に、究極的に解脱すること

はできない。

というのも、少しでもモノに対して

感知があるならば、なんらかのモノを

覚知しようと、執着が生じる。

言い換えれば、事物の特徴を感知して、

かつ、当該の知識や事物に執着するならば、

真実、苦痛を取り除けたとしても、

それは完全なる、または究極なる解脱で

はなく、仏陀の目標は、この境地よりも

なお、高いものであった。

鬱多迦羅の観点に至っては、阿羅邏迦羅の

修行の境地より高いものの、しかし、

結果はなお、同じものである、というのも、

覚知者が登場するが故に。

この境地は、彼の言うところの、苦痛を

消し去る、その場所である。

両者の唯一異なる点は、後者の方が、

心霊の訓練に関しては、前者よりは比較的

精妙で深いことである。

その証悟された境地は、存在するとも言えず、

不存在であるともいえないものである。

しかし、この二種類の理論は、結果的

には同じものであり、「自我(ママ、以下同様)」が

己を知覚して、最高の浄化に到達した時、

自己自身を認識することができ、かつ、

この種の境地を通して、永恒的な安楽を

得る事ができる(+とするものである)。

総じて、この二人の苦行者の目標は、

前述したとおりの特徴を持つ「自我」に

あり、かつ、それを、すべての苦痛を

取り除くことのできる境地であると

することにある。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>