Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)-54

外道の主張する三種類の「自我」

遊行者たちの学説の中には、三種類の

「自我」がある:

(一)一般的に理解されている、色身を

「自我」とみなす;

(二)心霊によって生じた霊体

(astral body);

(三)意識;

しかし、前に説明したように、仏陀は、

意識の生起と消滅は、禅定の力でコントロール

することができる事から鑑みて、意識は

「自我」とみなすことはできないことを

証明した。

人々は、「自我」とは、主体的な力を持たない

個体である事、または、自ら意識的または

無意識的になることができないものである

という事を受け入れられないため、

それは、それを表す名詞の定義と合致すること

がないでいる。

ゆえに、もし、布咤婆楼の言う所の、ああいう

種類の特性を持つ個体が存在していたとして

も、それを「自我」と呼ぶことは、できない。

言い換えれば、それは主体的に、覚知ある

もの、または覚知のないものとして、

立ち現われて個体をなすことができない。

というのも、どのように探しても、

それがそのような主体的な力を持っていて、

かつ、唯一無二の真正なる永恒者だと、

実証することができないのであるから、

「自我」というものも、

ないのは当然なのである。

意識は「自我」になることはできない。

というのも、それは、止まることなく、

異なる個体(=個人)として、

変化し続けているからである。

たとえ、それが「自我」とともに生起して、

「自我」とともに消滅するとしても、

それはなお、「自我」ではない。

それらは、相次いで連続して生・滅する

個体である。

このことは、後の、「縁起法」の章の中で

解説したいと考えている。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>