Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー56★

我々は知らなければならない。

世界は恒常であるかどうか、という問題は、

「自我」の問題と直接的に関連しているもの

である。

しかし、仏陀の観点から言えば、「自我」は

決して存在しないし、描写することもでき

ないものなのである。

仏陀の考えでは、苦痛から解脱する方法は、

世界は恒常であるかどうかと論談する事、

または「自我」の問題とは、もとより

関係がない。

仏陀の教えた正道は、ただ物事の真正なる

本質を、如実に見通すことを要求しており、

それはすなわち、停まることなく循環し、

運行している「法」または自然の法則に

対して、決して執着や粘着をしてはならない

事、更には、それを「自我」であるとして、

執着してはならない、ということである。

ゆえに、仏陀は言う:

「これらの命題は役に立たない。それは、

苦痛を止めることができない」。

以上の物語は、仏陀が町に行って

托鉢する前の、当日早朝に起きた出来事で、

仏陀と遊行者はここまで話をして、

そこで別れた。

何日かの後、遊行者布咤婆楼は、「吉達」

(Citta)という名の象使いと一緒に、

再び、仏陀の開示を聞き来た。

彼は仏陀に、仏陀は世界の恒常であるか

どうかの類の問題を論じない。

私もそれに同意したいけれども、

それでは遊行者たちに責められる、と言った。

仏陀は再び確固として言った:

これらの事を話し合うのは、意味がない。

しかし、四聖諦は、修行者に直接的な

利益を齎すことができる、と。

そして、仏陀はさらに続けた:

(+ )(= )訳者。(つづく)

訳者コメント:下線は訳者。ここには、

非常に重要な観点が述べられていると

考えられますので、老婆心にて。

★誤字脱字を発見された方は、当コメント欄

にてご一報頂くか、または<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>