(一)ソレ(「自我(ママ、以下同様)」を指す)は
無生で、無滅、また不存在であり、不出生で
ある;ソレは、無生で、恒常で、永存して
おり、己自らで具足しており、肉体が切り刻
まれても、ソレは害を受けない。
(第二章、第20詩節)。
(二)武器をもってしても、ソレを切り刻む
ことはできず、火もソレを焼くことは
できない;水はソレを濡らすことはできず、
風もまたソレを吹き乾かすことはできない。
(第二章、第23詩節)
(三)ソレは、切り刻むことはできず、ソレは
火を恐れず、水を通さず、風で乾かすことも
できない;ソレは永恒で、全能で、移動しない
もので(原文=不可移動)(訳者注)、恒常不変で、
かつ、永久に存在するものである。
(第二章、第24詩節)
(四)ソレは、形象がなく、想像することが
できないし、改変することもできない。
ゆえに、ソレを認識したならば、あなたは
永遠に遺憾(=残念に思う事)がない。
(五)ソレはすべての事物の中に存在し、
かつ破壊することができない、誰も、この永久
に隕滅(=墜落して滅する事)することのない
物質を破壊することはできない。
(第二章、第17詩節)
(六)我々の霊魂(ママ、以下同様)が肉体の中に存在
して、子供から青年になり、青年から老人に
なるように、「自我」はこの身体から別の
身体へと、身体を交換する。
(第二章、第13詩節)
(七)一人の人が、敗れた服を脱ぎ棄てて、
別の新しい服を手に取るように、この
「化身(ママ、以下同様)」は同じく、損壊した躯体を
捨て去り、新しい躯体に入る。
(第二章、第22詩節)。
(八)この個体が、殺人を犯せるとか、または
殺されるとかと思う、二種類の人間は、皆、
無知なのである。事実は、ソレは殺人も
できないし、殺されることもない。
(第二章、第19詩節)
(九)ソレは、すべての生物を創造し、かつ
あらゆる生命の中に存在するが故に、己の任務
を完成させる、という行為を通して、ソレを
崇拝する人々は、完全なる美を獲得すること
ができる。(第十八章、第46詩節)
(十)すでに「自我」を(低レベルか、または
俗世に)降服させた人は、寒さ、暑さ、
悲しみ、嬉しさ、栄誉または屈辱の中に
おいて、彼の「自我」は(+いつでも)同質で
ある。(第六章、第7詩節)
(十一)世俗の目から見て、もし、あなたが、
ソレが継続しながら不断に生滅していると
思えたとしても、ソレのために悲しんでは
ならない。
(第二章、第26詩節)
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
(つづく)
訳者コメント:
上記詩文の、中国語からの翻訳は、恣意的な
意訳を避けて、なるべく直訳としました。
日本語として生硬な部分が気になる方は、
正本をご確認ください。
訳者注:訳文中の下線の不可移動の<不可>
は、することができない&してはいけないの
両義があり、しかし、どちらをとっても
しっくりこないので、上記の意訳としました。
正確を期す方は、正本をご確認ください。
★誤字脱字を発見された方は、当コメント欄
にてご一報頂くか、または<菩提樹文庫>まで。
ご協力、よろしくお願いいたします。
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>