Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー73★

ここで、私は以下の説明を加えたいと思う。

上記の詩文の中の「ソレ」「化(ママ、以下同様)

はすべて、「自我(ママ、以下同様)」を表している。

この「自我」は、不生、不滅、不変なる

「自我」で、仏教徒なら皆、これらは「無為

法」または、涅槃であることを知っている。

彼らが言う所の「『自我』は万事万物に遍在

している」は、我々が受け入れている所の

「涅槃の本質は、いたるところ遍在する、

不在はない」または「無為法は一切の事物に

遍在する」という言い方とは、非常に酷似

しているのである。

彼らが言うような、「自我」から変成した

所の「化身」とは、ソレが、心身の壊滅に

従って消失したりすることはない、という

ことを意味している。

というのも、ソレは、かつて生起したことも

ないし、(+それが故に)消滅することも

ないからである。

すべての生命の期間の中で、(+ソレは)永遠

に同じ(+本質をもつもの)でありつづける

が、ソレが、肉体またはその他の世俗の事物

から超越し、抜け出した時、この境地を

「解脱」と呼ぶ。

この境地に到達した時、「自我」は「真正なる

自我」(訳者注)に変成する。解脱を獲得した後、

ソレは「真正の自我」または「最高の自我」

見做され、ソレは一般の「自我」とは

異なる(+ものとなる)。

一般の「自我」は、人間の本性が執着する所

の「自我」であり、言い換えれば、

(+人々が)心身に執着して、心身を「自我」

となす所の、そういうものである。

(+ )(= )訳者。(つづく)

訳者注:「真正的自我(=真正なる自我)」

は、日本では「真我」と訳されるものと

思われますが、ここでは、著者の意向を

優先し、直訳としました(以下、同様)。

★誤字脱字を発見された方は、当コメント欄

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ご協力、よろしくお願いいたします。

ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>