ここで、私は以下の説明を加えたいと思う。
上記の詩文の中の「ソレ」「化身(ママ、以下同様)」
はすべて、「自我(ママ、以下同様)」を表している。
この「自我」は、不生、不滅、不変なる
「自我」で、仏教徒なら皆、これらは「無為
法」または、涅槃であることを知っている。
彼らが言う所の「『自我』は万事万物に遍在
している」は、我々が受け入れている所の
「涅槃の本質は、いたるところ遍在する、
不在はない」または「無為法は一切の事物に
遍在する」という言い方とは、非常に酷似
しているのである。
彼らが言うような、「自我」から変成した
所の「化身」とは、ソレが、心身の壊滅に
従って消失したりすることはない、という
ことを意味している。
というのも、ソレは、かつて生起したことも
ないし、(+それが故に)消滅することも
ないからである。
すべての生命の期間の中で、(+ソレは)永遠
に同じ(+本質をもつもの)でありつづける
が、ソレが、肉体またはその他の世俗の事物
から超越し、抜け出した時、この境地を
「解脱」と呼ぶ。
この境地に到達した時、「自我」は「真正なる
自我」(訳者注)に変成する。解脱を獲得した後、
ソレは「真正の自我」または「最高の自我」
と見做され、ソレは一般の「自我」とは
異なる(+ものとなる)。
一般の「自我」は、人間の本性が執着する所
の「自我」であり、言い換えれば、
(+人々が)心身に執着して、心身を「自我」
となす所の、そういうものである。
(+ )(= )訳者。(つづく)
訳者注:「真正的自我(=真正なる自我)」
は、日本では「真我」と訳されるものと
思われますが、ここでは、著者の意向を
優先し、直訳としました(以下、同様)。
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>