wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー79

仏教は「自我」を取り除いてのみ

涅槃を証悟できると言う~

前述(No77 )の文言から、ジャイナ教もまた、

仏陀がパーリ経典《布咤婆楼経》において

述べたとおりの、無形の形体ーー意識ーーを

否定しているのと同じく、粗い肉体と霊体を

否定していることが分かる・・・というのも、

ソレが追及する所の目標は、業力から解脱した

境地なのであるから。

故に、一人一人の学習者には、再度しっかり

覚えておいて欲しい。この教派の観点と

仏教の観点は、どれほど似ているだろうか、

ということを。

もし、我々が心ここにあらずして、自分の

考えで(+仏教の)教義を解説したならば、

我々は知らず知らずの内に、仏教の教理を

その他の教派の教義と混同・曲解してしまう

ことが起こるだろう。

ここで言う所の「どれほど似ていることか」

とは、この二種類の教理は、大部分の所では

同じであり、部分的に差異があるだけで、

特に違う所は、仏教には「自我」の観念が

ない、という部分である。

仏教は、一人の人が、徹底的に自我感を排除

したときにのみ、涅槃に到達する事ができる、

と言う。

この種の観点は、その他の教義と比べて、

ただ小さな一歩しか違わないけれども、

しかし、我々が子細に注意を払わなければ

ならないのは、我々の教義は、この小さな

一歩の故に、その他の教義と完全に異なる

ものとなった、ということである。

仏教は、智慧を証悟する時、完全に「自我」

取り除くが、その他の教義においては、

然として「自我」が存在する。

我々は、依然として「自我」の存在する智慧

正見である、という言い方を受け入れる事

できない。

 

このジャイナ教の大師は、続けて言う:

清浄なる境地における「自我」と、以前、塵俗

の世界において汚染された、または隠されて

いた「自我」は、同じものであり、か

つ、その始めからずっと、我々の元々の

「自我」であったものである、と。

 

しかし、汚染された時、ソレは自己を見失う。

というのも、塵俗の世界または煩悩がソレを

コントロールし、それ(=コントロールされ

もの)が「自我」となるからである。

真正なる「自我」は、本質的には、解脱を

得るために奮闘努力するものであり、または、

塵俗の世界からの解脱を勝ち取るものであり、

かつ、常に、これをもってソレの使命と

するものである。

これこそが、《羅摩衍那》(Rāmāyaṇa)の

詩節の中に書かれていることである:

 

小鳥は生まれながらにして飛べる、

河は、当然、(+下流へと)奔流する、

「自我」の存在は、ソレの任務を完成

する為である。

 

この理論は、明確に以下の事を主張する。

人は、解脱しているかいないかにかかわらず、

いつもずっと「自我」を擁している、と。

この部分は、仏教の教理と大いに異なる。

振り返って、上帝(=神)を信じ奉ずるインド

哲学について思いを馳せる時、我々は、

彼らの、この方面における卓越した創意を、

もう一度確認することになる。

彼らは、上帝こそが「自我」であり、他の

ものではありえない、という。

「自我」は万事万物に遍在しており、存在

しない所はなく、「自我」を上帝として

尊敬する人は、ソレを「梵」と呼ぶ。

彼らは、「梵」を擬人化された上帝と見做す

のは、比較的低レベルの考えで、これらの

人々が、更に智慧に富み、「梵」とは何か、

「自我」とは何かを理解できるようになる前、

彼らに(+真理を)このような形で理解

させるのは、必要なことなのである、と言う。

という事は、「梵」を擬人化された上帝と

考えるのは、ちょうど家の周囲を取り囲んだ

壁、または鎖のようなもので、主な用途は、

彼らを束縛し、このことによって、彼らが

比較的強固な堅信なる信仰を持つように

するものなのである。

この点を鑑みて、私は突然、我々自身の事に

思いを馳せた。

涅槃を真正なる「自我」だと比定するのも

同じことで、それはまるで家の周囲を

取り囲んだ壁を造るようでもあり、または

縄で囲うようでもある。

その主要な目的は、彼らを真正なる教義の中

に引き入れることである。

これは、彼らを孤独にして、拠り所にできる

どのような「自我」もないという状況の下に

おいておくよりは、まだましなのであって、

々になって、彼らは、己自ら、この種の

最後の「自我」を捨て去ることができる

かもしれないのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>