Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)~169-1

問1-3:一般的には、人は死んだあと、なお霊魂

があり、永恒で不死であると考えられて

いますが、これは常見です。

仏陀は我々に常見と断見を捨離して、中道を

採用するように言いましたが、中道とはどう

いうものですか?

そして、我々は、人が解脱していないならば、

六道で輪廻することを認めていますが、それ

は、人には霊魂なる自我がある、ということを

意味していて、常見ではないでしょうか?

漢訳の《雑阿含経》では、八聖道分は、世間的

と出世間的の立場で説明できると書いて

あります。この点に関し、禅師に簡単に説明

して頂きたいのですが、いかがでしょうか?

凡と聖のそれぞれの効用と利益は、どのような

ものでしょうか?

答1-3:中道とは八聖道の事である。世間的な

八聖道分は、聖道を証悟する前の戒、定、智慧

の三学の中に含まれる;出世間の八聖道分は、

四種類の聖道(ariya-magga)である。

世間的な八聖道分の中、正語、正業と正命は

戒学に属する。正精進、正念と正定は、定学に

属する。ゆえに、あなたが止禅を修習する時、

それは三項目の聖道分を育成しているので

ある。

正見と正思惟は慧学に属する。

八聖道の第一項は正見であるが、では、正見

とは何か?

正見とは、苦諦、集諦、滅諦と道諦を正しく

理解する事である。

苦諦とは何か?五取蘊が苦諦である。

あなたが、色業処と名業処の修行をするとき、

観智でもって、あなたとその他の衆生

すべて、ただ名色のみによって、またはただ

五蘊のみによって構成されていて、まったく

もって「私」というものは存在しないのだ、

ということを、見ることができる。

この段階において、あなたは何が苦諦である

かということを理解し、かつ、この種の正見

でもって、暫定的に身見を取り除くことが

できる。(問1-3、つづく)