Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)~169-2

名色を観照した後、あなたは更に一歩進んで、

縁起の修行をする(+必要がある)。

縁起とは、集諦の事である。

あなたは過去の一組の因が、現在の果を造る

ことを見ることができる。過去の因は、ただの

名色にすぎず、現在の果も、ただの名色に

過ぎない。ゆえに、名色が名色を造っている

過ぎないのである(+ことが分かる)。

過去の因が生滅する時、それらは:

「我々の生起を利用して、こうこうこういう

果報を生起させよう」とは考えない。

現在の果も:「これこれ、こういう因が

生起するならば、我々も生起しよう」などと

考えない。

因と果は、ただ、固定的な自然の法則に従って

生滅するだけであって、因は、何らかの努力を

なして果を生起させる、等ということはなく;

因が発生した後、果もまた、何等の努力も

なしに、生起する。

因と縁の条件が整ったとき、因の発生が、

果の生起を誘引する。因は無常であり、苦で

あり、無我であり;果もまた無常であり、苦で

り、無我である。

過去において、我(=私)はいなかったし、

現在においても、我(=私)はない。

ゆえに無我の法則と、生死輪廻の両者は、

特に矛盾するということは、ない。

あなたが縁起の修行をするとき、必ず、過去

から未来における、名色の相続流を観照

しなければならない。もし、あなたがこの

ように、正確に修行をすることができた

ならば、暫定的にではあるが、断見

(ucceda-diṭṭthi)を取り除くことができる。

あなたは、すべての名色が、その場で生起し、

その場で滅尽するのを照見できるほどに

修行を積まなければならない。

もしあなたが、正確に修行ができたならば、

暫定的にではあるが、常見(sassata-diṭṭhi)

取り除くことができる。

あなたは必ず、すべての名色は、それら自身の

因と縁で造られているのを、照見する必要が

ある。

もしあなたが、このように、正確に修行する

ことができたならば、暫定的にではあるが、

無因見(ahetuka-diṭṭhi)を取り除くことが

きる。

あなたは、必ず、諸々の因と縁は、それら

おのおのの果報を生じさせるのだ、

ということを照見できるようにならなければ

ならない。

若しあなたが、このように正確に修行する

ことができるならば、暫定的にではあるが、

無作用見(akiriya-diṭṭhi)を取り除くことが

できる。

このように、この種の縁起の正見は、我々の

去、現在、未来の三世への疑問を取り除ける

だけでなく、種々の邪見も取り除くことが

できる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

(問1-3、つづく)

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>