Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「修心与神通」(翻訳文)-3★

2、定の必須条件とは何か?

定の必須条件とは「軽安」である。

言い換えれば、一種の、安寧自在の寂静の

状態。平等、清浄と融合し、障礙のない、

自然の中に処する、ということである。

我々は、通常、打坐(=座禅・瞑想/以下同様/

訳者注する時、あそこが怠いのでなければ、

ここが痺れるし、あっちも痒くて仕方ない。

これが、軽安ではない、ということである;

上記の生理的困惑が克服できたとして、

しかし、(+自分が)足を組んで、打坐して

いる感覚は、残る。

また、心の中であれこれと考え、明日、

どれくらい入金があるのかと胸算用して

みたり、小切手の支払いを心配してみたり。

これが、軽安でない、ということであり、

軽安でない時、心もまた安楽ではなく、

この状態では、定がある、とは言えない。

軽安とは、基本的な原則として、有形有相の

生理的感覚を克服しなければならないのと

同時に、無形無相の心理的妄想、すなわち、

内心の知覚をも、調伏しなければならない。

(+これらを乗り越えて)心身自在の境地に

到達して初めて、真正の定を得ることが

できる。

真に定を得たならば、座っていても、自由に

空を飛んでいるような感覚があり(+心身は)

それ程に軽く、安らかである。

(+あなたの)生命が定を得たいと欲している

以上、一番目の主要な条件は、軽安を得る

ことで、では、そのキーポイントとは何かと

いうと、それは「風大」(+の通り)が順調で

ある事である。

もし、本当に心身の気脈を順調たらしめた

ならば、心身の色々な事どもも、自然と

忘れることができ、全体的な軽安に

到達することができる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

(つづく)

訳者注:座禅と瞑想はどう違うのかと聞かれる

ことがありますが、浅学な私は正確な説明が

できません。中国語では<座禅する事>を

<打坐>と言いますが、その人の修行方法、

目的、手段によって、それは座禅だったり、

瞑想だったりするのだと思います。

ゆえにここでは、両義を持たせるために、

原文の<打坐>を採用し、直訳とします。

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<陳居士「修心与神通」中国語→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>