(3)菩提心を発していないこと:
真剣に道を修し、果を証悟したいという決意
(+がない)。
言い換えれば、もとより出離心などなく、諸法が夢であり幻であるという(+そのからくり)を見抜くこともできないでいる。
そして、諸々の、種々の欲念の中で、(+いろいろな事柄に対して)深々と執着している。
(+いったん執着したならば)それをつかんで放さないし、常々それの利益を享受しようとする。
これは、人々が、微細な習性の偏向を取り去ることが難しい、ということを表している。
たとえば、(+必要以上に)清潔が好きとか清浄が好きとか、道が好きとか、それもまた欲であることに、気が付かない。
自分の決めた基準が少しでも犯されると、たとえば、少しでも汚れていると、もうイライラして、他人を怒鳴りつけたりする。
(4)妙五欲、極散乱者:ある種の修行者は、いまだ初禅に到達していないため、外境に対していまだ六塵、五欲、五毒などに汚染され、内念(+心の動き)に対しては、禅定の成果を得たいという執着があり、不思議な境地に到達したいという気持ちが強く、そういうものに出くわすと、心を浮き立たせ、(+サマーディの境地の中で)出会ったモノ、見たモノを貪り放さない。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(13-4につづく)
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<陳居士「修心与神通」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>