問5-9:
菩薩道を行ずるには忍辱波羅蜜を修行しなければなりません。では、解脱道を修する行者には、忍辱波羅蜜を修行する必要はありますか?
答5-9:
解脱道を修する行者は、忍辱波羅蜜を修行する必要がある。しかも、それだけではなく、他の9種類の波羅蜜も修行しなければならない。彼は、10の波羅蜜を相当程度のレベルまで修行する必要があり、それは、これらの波羅蜜が彼をして阿羅漢果を証悟できるようにするまで、続く。
しかし、彼(=解脱道の行者)の波羅蜜は、菩薩の波羅蜜と比べることはできない。菩薩の波羅蜜は、はるかに阿羅漢の波羅蜜を凌いでいるから。
問5-10:
リトリートの間、参加者全員「解脱道」の学習(+と修習)に専念しています。禅師はなぜ「菩薩道」の解説をするのでしょうか?何か特別な考えがおありなのでしょうか?
答5-10:
ある北伝の法師から、菩薩道について話をしてほしいと頼まれたからである。私自身も、南伝の教法の中にある菩薩道について、解説してみたいと思ったこともあり、菩薩道を修行したい人の参考になるのではないかという思いから、話してみたのである。
我々は、禅の修行とは、ただ単に解脱道のためにだけ、修しているのだと言ってはならない。
というのも、菩薩は禅の修行をしなければならないのはもちろんの事、彼の止禅と観禅は非常に高度なレベルまで修習する必要があるからである。
あなたは、10波羅蜜の内の一つは出離波羅蜜で、出離波羅蜜の最高のレベルとはジャーナを証することだ、という事を忘れてはならない。
慈波羅蜜と捨波羅蜜は、無辺の宇宙のすべての衆生を対象としており、慈心禅及び捨心禅を証悟した時を最高レベルとする。
あなたはまた、10波羅蜜の内の一つは智慧波羅蜜であること、そして行捨智とは、菩薩が必ず到達しなければならない、最高レベルの智慧と平等捨であることを、忘れてはならない。
もし禅の修行をしないのであれば、菩薩はどのようにして行捨智に到達するというのだろうか?
また、一人の人間が禅の修行に打ち込むとき、彼はまさに精進波羅蜜を修行しているのである。彼は、必ずや、持戒清浄の基礎の上に立って、強大な忍耐力と決心をもって修行するのである。ゆえに彼が修行しているときは、多くの波羅蜜を蓄積していることになる。
《本生経Jātaka》の物語を通して、我々は我々の菩薩が人間として生まれた世の内の多くの場合、いつも禅の修行、特に慈、悲、喜、捨四梵住、10遍禅、八定及び 5神通の修行に精進したことを理解することができる。
こうしたことから、阿羅漢果を証悟したい人だけではなく、菩薩もまた、禅の修行をしなければならないことが、はっきりと知れるのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>