Sayalay's Dhamma book

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パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-206

問6-8:

仏陀は「心、仏、衆生の三(+者)に差別なし」と言いました。それならば、なぜ、仏陀は一番の最初から、すべての弟子に、仏となるよう発願を促し、人々は平等である事、仏陀とかパーチェカ仏とか、阿羅漢とかの区別はないのだと、教えなかったのでしょうか?

答6-8:

南伝の三蔵によると、二種類の相がある:すなわち、自性相(sabhāvalakkhaṇa)及び共相(samaññā lakkhaṇa)である。

共相は、無常・苦・無我の三相を指す。もし、禅の修行者が内部(=自分自身)と外部(=他者)の究極名法と色法を識別するならば、彼は、内外の名色法は皆、無常・苦・無我であることが分かる。この時、一切は平等である。

それらは皆、無常・苦・無我なる法ではあるが、しかし、ある種の無常・苦・無我の法は、四聖諦を了悟する観智と相応し;ある種の無常・苦・無我の法は、四聖諦を了悟する観智と相応しない。ある種の無常・苦・無我の法は、一切知智と相応し;ある種の無常・苦・無我の法は、上首(=上席)弟子の覚智に相応し、ある種の無常・苦・無我の法は、大弟子の覚智と相応し;ある種の無常・苦・無我の法は、普通弟子の覚智と相応する。この立場から見ると、それらには差別が生じる

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>