《法句経》316及び317の偈で、仏陀は言う:
恥を感じなくてよいときに恥を感じ、
恥を感じなければならないときに
恥を感じない。
このような邪見を持つ人は、
悪趣に堕ちる。
危険でないものに危険を感じ、
危険なものに危険を感じない。
このような邪見を持つ人は、
悪趣に堕ちる。
仏陀のいう上記の言葉は、現代社会においても、真実の反映である。
たとえば、多くの貧困者は、己の貧困に対して恥を感じ、豊かな人は、己の財産に驕慢を覚える;人を引き付ける事のできない醜悪な風貌の人は、恥を感じ、美しい人は、己の美貌に対して驕慢になる。
しかし、金銭と美貌は、恥であるか、恥でないかの(+判断の)要素となるであろうか?
絶対に、否である。
誰であっても、人徳が良好で善い者は、貧困とか醜悪を理由に、恥を感じる必要はない。
反対に、道徳のない人は、その人が非常に富んでいるとか、美貌であるとかであっても、なんら驕慢になってよい理由はない。
このことを明確にして後、自己に対して不断に、己が行おうとしている事柄が、善であるか、不善であるかを検討するべきである。
そして、ただ善業をのみ行うという状況の下で、人は、その他の衆生に対して、初めて、いかなる脅威もなくなるが、これがすなわち、無畏施である。
そして(+その実践者は)、善業の善報を得ることができるのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(211-4につづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>