Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~常・楽・無我・浄

中国語の仏教書を翻訳していたら、涅槃は

<常・楽・無我・浄>である、と出て

いました。

よく仏教徒に批判される梵我一如は

<常・楽・我・浄>なのだそうです。

仏陀の教えと婆羅門教(現在のヒンズー教

では、無我(アナッター)と我(アートマン)、

ここが違う。

私の我(本来の自己?)は梵と同じである、と思ってしまうと、涅槃はできないらしい。

ニアミスですか、おしいなぁ(ブッダダーサ

尊者は、<我>まできたら、<無我>までは、

後もう一歩、と言っていましたね)

でも、ものの本では、涅槃とはどういうものかは、不思議過ぎて、説明できないという(だから仏陀は、如来の涅槃に関する質問に、無記を通したのですね)。

量子論を読んでいたら、この世の(物質の)成り立ちは不思議過ぎて、人間の言語を越えているから、人間の言葉では説明できない、とありました(光は粒子であると同時に波動であるという言い方は便宜上のもので、実際は、光は光である、としか言いようがないのだそうです)。

無我(アナッター)って何だろうか?

常、楽、浄と同時に存在する・・・・

無我って、一体、何でしょうね?