もし、あなた方が、本当に喜びを得たいのであれば、あなた方は、仏陀の教えに従って生活しなければならない。
このようにして初めて、あなた方は、仏陀の言葉から利益を得ることができ、そのことによって、喜びを感じることができる。
しかしながら、多くの仏教徒は、頭の中で業報の自然法則を理解するけれども、それを心の中で(+大事に)おいておくことはしない。
彼らはこの法則を信じるけれども、しかし、実行はしない。
愚人はただ、なした悪業に悪の報いがないようにと願い、また、善業をなさずとも、自動的に善の報いが届けばいいと願っている。
しかし、業報の自然法則は、あなた方が信じるかどうかに関係がなく、また、あなた方がそれが好きかどうかに関係がなく、それは、それ自身の原則に従って運行される。
すなわち、善をなせば善の報いがあり、悪をなせば悪の報いがあるのである。
かくして、我々の獲得する果報は、我々自身がなした業によって決まるのであって、我々の期待に沿って決定されるわけではない。
仏教徒は常日頃、慈悲について論談するが、それだけでは足りない。
彼らは行為の上においても、それらを実践しなければならない。
彼らは、智慧と慈愛を伴って、布施をしなければならない。
彼らは、少なくとも五戒を清らかに守らなければならない。
若し人が、五戒を守らず、随意に殺生、偸盗、邪淫などをするならば、我々はこの人を慈悲ある人だと言えるであろうか?
絶対に、彼には、慈悲がない。
慈悲のある人間が、殺生などできるはずがない。
この種の人間は、その他の衆生に親愛でないばかりでなく、己に対しても親愛ではない。
我々は《相応部・僑薩羅相経》から、このことが明らかに分かるのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>