Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~正月の鬱

これは、「後 2か月半で正月が来る、憂鬱だな~」という話ではありません(笑)。

実は、去年の年末から今年の正月にかけて、本物の「鬱」になって、そして、それを自分で治した話。デワデワ。

去年の年末、私は台湾のリトリートから帰ってきたばかりで、非常に疲れていて、家の片づけも、正月の準備もできていませんでした。

二男が泊まりに来ることは聞いていましたが、まぁ、家族だから、家が散らかっていても、正月料理が貧相でも、許してもらえるだろうと思って、油断していました。

そしたら、彼は前触れもなく、友人を連れてやってきたのです。

私はパニックになりました。

尼僧とは言え人の親、家をこぎれいにして、珍しい正月料理を作って、「君のお母さん、すごいね」と言われたいではありませんか(「すごいね」でなく「普通」でもいいのですが、「ゴミ屋敷じゃん」などとは言われたくないですよね)。

パニックになった私は、(台湾で色々事件に巻き込まれ、極度に緊張が続いたことも重なって)心の糸が切れたのか、その日から起き上がれない、食事ができない、誰ともしゃべりたくない、心は鬱々々・・・という心理状態に陥り・・・「ああ、これは急性の鬱だな」とは思いましたが、年末だから病院にも行けない。

仕方なく、息子には「大切な時に、病気になってしまった。蒲団から起き上がれない。申し訳ないけど外食して」と頼み、自分は絶食状態で、水だけ飲んで寝ていました。

所が、自律神経が失調したのでしょう、心臓が意味もなくドキドキするパニック障害を併発し、心身共、極限状態に追い込まれてしまいました。

そんな辛い状態が 5、6日続いた後、突然、心が定(サマーディ)に入ったのです。

そして、己の無明と渇愛が、可視化されて観えました。

はい、鬱は瞬時に治りました。

(鬱々とした病床にては、できる限りアナ・パーナ・サティ~出入息観をやっていました。息を観るのが無理な時は唸仏。心が乱れていても、仏の称号を黙するのなら、なんとかできましたので)

 10月17日のブログ <タイでは有名人> で起きたことが、また起きたのですね。今回は、良き母、良き主婦としてのプライドと、長期の旅行での心身の疲れが重なって、鬱を引き起こしたのですが、その心のメカニズムが観えて、観えた瞬間に、鬱は完治しました。

念のために正月明けに心療内科を受けましたが、医師から「ご自分で治されましたね」「もう大丈夫です」というお墨付きを貰て帰ってきました。

(医師には「定に入って云々」はあまりに宗教的で、言わない方が良いと考え、「鬱で心臓がドキドキするのを、『これでは死なない(かけっこをしてもこうなるし、それで死ぬなんてことはない)』と居直ったら、瞬時に治っていました」という説明にとどめましたが。)

アーチャン・チャーは「悟るときは、アビダルマをなぞっている暇はない」と言いましたが、私も、瞬時に、12縁起の内の無明と渇愛の二つに、意識が飛びます。

12縁起を全部なぞってから、悟る方法もあるのでしょうが、現在の私は、意識が必要とされるところへ瞬時に飛ぶ場合が多いです。

このテクニック(?)は天性で、誰に教わったものでなく、心は、そうあるべきと思った瞬間に、定に入る<クセ>があるようです。

お産の時に定(サマーディ)に入ってしまって陣痛が止み、赤ちゃんが出てこれなくなった話は、また今度(笑)。