Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)~212-6

このこと(=安般念の修行)を成功させたいのであるならば、あなたは、息が静かになるようにと決意しなければならない。

そして、その後に、一回ごとの呼吸の、その最初から、その最後までに、不断に専注すること。

あなたは、何らかの方法を用いて、息を静かにさせるというようなことをしてはならない。というのも、このようにすると、定力は後退して、なくなるからである。

この段階において、あなたがしなければならない事は、ただ、息が静かになるよう決意し、その後に、継続して不断に、息に専注することである。このような方法で修行すれば、あなたは、息がより静かになっていることに気が付くし、(+その時には)禅相が出現する可能性も、出てくるのである。

禅相が出現しそうになったとき、多くの修行者は、いか程かの困難に出会う。

大多数の修行者は、息が非常に微細になっていることに気が付くのだが、彼らの心は、はっきりと息を覚知することができないでいる。

もし、このような現象が発生したならば、あなたは、覚知する心を保ち、その直前、あなたが最後に息を知ることのできたその場所で、息が再度出現するのを待つべきである。

安般念の修行によって出現する禅相は、人によってそれぞれ異なるものである。それは人によってまちまちである。綿花のように白い色の禅相は、ほぼ取相である事が多い。というのも、取相は、通常、不透明で、明るく光らないものであるから。

禅相が、明けの明星のように明るく、光っていて、透明である時、それは似相である。

禅相が、ルビーのようであるとか、また、宝玉のようであって、明るくない時、それは取相である;

それが明るい時、発光している時、それは似相である。

このような段階に到達した時、最も重要なのは、禅相を弄んではならない、禅相を消失させてはならない、故意にその形状または外観を変化させてはならない、ということである。

もしこのようにすれば、あなたの定力は、停滞し、引き続いて(+ますます定力を)上昇させる、ということが困難になり、禅相もまたそれが原因で、消失するであろう。

故に、禅相が初めて出現した時、専注力を息から、禅相に向きかえてはならない;そのようにすれば、禅相は消失する。

もし、禅相がすでに安定しているのを発見し、かつ、心が自動的に禅相にしっかりと張り付いているのであるならば、心を、それに専注させても構わない。

もし、心を強制的にそこから離れるさせるようなことをすると、あなたは定力を失うであろう。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>