「比丘たちよ。あれら沙門または婆羅門は
『これは苦である』という事を如実に知る事がない;
『これが苦の集である』という事を如実に知る事がない;
『これが苦の滅である』という事を如実に知る事がない;
『これが苦の滅に導く道である』という事を如実に知る事がない;
これらの人々については、私は彼らを沙門中の沙門とは見做さないし、彼らを婆羅門中の婆羅門とも見做さない。これらの尊者は、今生において、智慧でもって、自ら証悟し、沙門果または婆羅門果に安住することができない。
しかしながら、比丘たちよ。
あれら、四聖諦を知る沙門または婆羅門について、私は彼らを沙門中の沙門と見做し、彼らを婆羅門中の婆羅門と見做す。これらの尊者は、智慧でもって、自ら証悟し、沙門果または婆羅門果に安住する。」(《相応部・第二辺際村経》Dutiya Koṭigāma Sutta)
「故に、
これは苦・・・
これは苦の集・・・
これは苦の滅・・・
これは苦の滅に至る道・・・」《相応部》
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-3につづく)
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<パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>