Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~1-4

もしも、禅の修行者が、世間聖道、すなわち観智であるが、それを育成し、それが熟した時、観智の末端において、涅槃を知見する出世間聖道が生起する。

出世間八聖道分を証悟するとき、それらは、諸々の煩悩を、徐々に、余すところなく尽滅する。

観智を育成する時、修行者は、苦諦法と集諦法のこれらの行法を、無常・苦・無我として、観照する必要がある。

ここにおいて、私は、無常・苦・無我とは何かを、はっきりとさせたいと思う。

無常とは何か?

五取蘊及びその因は無常である。

なぜか?

それらは、生・滅しており、変易しており、または、それらは有るという状態になった後、再び存在することがないから、である。

生・滅と変易は、無常の相であるか、または変化の方式である。

言い換えれば、有るという存在になりながら、次には二度と存在しなくなるのは、無常の相である。

同じく、五取蘊及びその因は苦である。

というのも、「無常なるものは苦である」と言うから。

なぜか?

というのも、(+それは)不断に生・滅の圧迫に遭遇しているから。

不断に生・滅の圧迫に遭遇しているのは苦である。

また、ジャーナの楽またはジャーナの法(=現象)も、苦である。

なぜか?

心と身の楽受は変易法(変易苦)である。

というのも、それらが変易する時は、苦の生起の因であるから。

捨受及び三界の中のその他の行法は、行苦と言う。というのは、それらは生・滅の圧迫に遭遇しているから。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

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<パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>