wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~1-6

<穴の開いた軛>

「比丘たちよ。もし、この大地が、大きな水池になるとして、そして、ある人が、真ん中に穴の開いた軛を、そこへ投げ入れたとする。

東風が吹いて、それは西へと向かい、西風が吹いて、それは東へと向かう;北風が吹いて、それは南へと向かい、南風が吹いて、それは北へと向かう。

もし、一匹の盲目の海亀がいて、百年毎に、一回だけ水面に浮きあがるとする。

比丘たちよ。あなた方は、どのように思うか?

百年毎に、一度だけ水面に浮かび上がるこの海亀が、あの軛に開いた穴に、頭を突っ込むことがあるだろうか?」

「世尊、もし、百年毎に一度水面に浮かび上がる海亀がいるとして、その海亀が、ちょうど折よく、軛の穴に頭を突っ込むことは、あり得ます。」

「同様に、比丘たちよ。人々も、ちょうど折よく、人身を得て;如来、阿羅漢、正等正覚者もまた、折よく世間に出現している。

比丘たちよ。あなた方は、すでに人身を得ている;如来、阿羅漢、正等正覚者もすでに世間に出現している;如来の宣揚する法と律は、正に世間を照らしている。

故に、比丘たちよ。

『これは苦である』という事を知るために精進しなければならない;

『これは苦の原因である』という事を知るために精進しなければならない;

『これは苦の止滅である』という事を知るために精進しなければならない;

『これは苦の滅に導き到る道である』という事を知るために精進しなければならない。」《相応部》

 

もし、禅の修行者が、四つの聖道智でもって四聖諦を知るならば、これらの智慧は、無明と愛(=渇愛)を徐々に、余すところなく、滅尽する。

無明と愛という、この二種類の結は、衆生が長い間、不断に生死輪廻してきた、主要な原因である。以下の経を見てみよう:

「比丘たちよ。ちょうど空中に放り投げられたこん棒は、それが落ちてくるとき、あるときは、尾が先に地につき、あるときは頭が先に地につく。同様に、無明によって覆い隠され、渇愛によって束縛される衆生は、一つの界からもう一つ別の界へ行き、もう一つの界からこの界へ来る。その原因は何であろうか?彼らは、四聖諦を知らないが故に、そうなのである」《相応部》

 

ゆえに、四聖諦を知る事に、尽力しなければならない。

みなさんが、四聖諦を知る事を祈願する。

みなさんが、仏法をより正し理解することを

祈願する。

みなさんが、この長く久しい生死輪廻から、

解脱されることを祈願する。

 

                 パオ禅師

                (Pa-Auk Tawya Sayadaw)

              緬甸国モン州モーラミャイン・パオ禅林

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-1につづく)

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<パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>