禅の修行者は、まるで傍観者の如くに、息の自然な様を、静かに鑑賞するだけでよく、それに干渉してはならない。
息は、時には粗く、時には細く、時には長く、時には短く、時には各種の異なる状態を呈する。
これらは皆、自然な現象である。
修行者は、ただ正念を保持し、単純に息をみているだけでよい。あるときには、心は、妄想に引っ張られて、息を覚知することを忘れる事がある。この状況に気が付いたならば、即刻息に戻り、妄想を相手にしてはならない。
妄想がたびたび出てくるからといって、そのことでイライラする必要はない。こういう時は、心を益々リラックスさせて、単純に、正念を保持し、軽く息を覚知し続ければよいのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-5につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>