禅の修行者が、自分自身の専注力が強くてかつ安定していると感じたならば、己自身に、不断に息に覚知するように精進する(+様に言い聞かせる)。
すなわち、同じ場所において、一回ごとの呼吸の最初から最後までを覚知するのだ、と決心するのである。
これが《大念処経》の中で述べられている「息の全身(=息の全体)を覚知する」という事である。
息というものは、必ず一定の部位に接触する為、禅の修行者は、心をして、息の接触する部位の一か所に安住させる。息を吸い始めたときに、そこを通る息に覚知し、息を吸う時にそこを通る息に覚知し、吸う息が最後に通るその部位の息を、知覚するのである。
息を吸う時もまた同じである。
息の全身(全息)を知覚する事は、禅の修行者の心をして、更に専注する力を生じせしめるのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-8につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>