<転法輪経解説>
1、縁起
《転法輪経》は、仏陀が成道後、開示した最初の経で、この経が開示された対象は、五人の比丘である。
シッダッタ太子は、出家して間もなく、剛毅な気力をもって、ウルヴェラ(Uruvera)の森の中で各種の苦行を修行した。この五人の比丘は、彼に仕え、彼の(+生活に必要な)ささやかな需要に応えた。
六年後、彼は、己を苛む苦行は、悟りへの道ではないと知って、苦行を放棄し、体に必要な食物を求めて食べた。
このような状況の下、五人の比丘は、太子が悟りのために奮闘するのを止めたのだと思い、彼に失望し、彼から離れて、仙人墜処の鹿野苑に行った。
シッダッタ太子は、聖悟して仏陀になった後、五人の比丘が、人間界においては、最も、徹底的に仏法を悟る能力を有する人たちだと観察した結果、彼は仙人墜処に来て、彼らのために《転法輪経》を開示した。
この経は、仏教徒の非常なる尊重を受けた。
というのもこれは、仏陀が最初に行った転法輪の開示であり、天人たちと人々が、いままで聞いたことのなかった法であったから。
1-1、仙人墜処(Isipatana)
経文の最初に言う:
私はこのように聞きました。ある時、世尊がバラナシ付近の仙人墜処の鹿野苑に住んでいた時・・・。
ここで言う「ある時」とは、仏陀が成道して後、二か月後、陽暦の6、7月の間の満月の日の事である。
その時、仏陀は、ボーディガヤ(Bodhigaya、現在のブッダガヤ)から、仙人墜処(Isipatana)の鹿野苑に来た。ここにおける isi の意味は、「仙人または賢者」で、 patana は、「墜落または、降下」である。
我々の菩薩が仏陀になる前、多くの仙人とパーチェカ仏は、ヒマラヤに住んでいた。
彼らは、自分の住居から鹿野苑に飛んできて降下し、バラナシの町(Bārāṇasī)に入り、托鉢した。托鉢が済むと、今度は、鹿野苑から飛び立ち、ヒマラヤへ戻ったのである。
また、パーチェカ仏たちは、ここにおいて、布薩(=ウポーサタ)やその他の集会を開いた;過去の諸仏もまた、神通力をもって、ここに来て降下し、《転法輪経》を開示した。
このことから、ここを「仙人墜処」という。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-2につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責Pañña-adhika Sayalay>