Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)2-3

 

第一節 仏陀

まず最初に、我々は、確信をこめて、こう言いたい:

仏陀は神ではない!

仏陀は人間で、歴史上に実際に存在した偉人

である。

紀元前624年太陽暦5月の満月の日、古代インドのヒマラヤの南麓の釈迦国(Sakya)の王都

カピラバットゥ(Kapilavatthu)の城主である浄飯王(Suddhodana)と皇后マヤ夫人(Mahāmayā devī)の間に、高貴な太子が生まれた。

太子は生まれて間もなく、占い師が、彼は成長すると、出家して偉大な覚醒者になると予言し、ゆえにその名を、一切義が成就するという意味を持つ、シッダッタ(Siddhattha)と名付けられた。

浄飯王は、太子が成長して世界を統一する君王になってほしかった為、彼が幼少のころより、良質な貴族教育を受けさせ、各種の文化と武術を学ばせた。

菩薩が16歳になったその年、美しいいとこのヤソーダラー(Yasodharā)と結婚し、後に息子が生まれたが、その子の名をラーフラ(Rāhula)という。

菩薩が29歳の時、人生には老い、病い、死などの種々の不円満な現実がある事に気が付き、解脱の真理を求めて、もうすぐ継承する予定であった王位を放棄し、己に厚い希望を寄せる国家と人民を離れ、己を深く愛する父王、妻と子を置いて、無一文の、住所不定の、心配事の無い出家修行の生活に入った。

彼は、先に、当時の禅定大師アーラーラ・カーラーマとウダカ・ラーマプッタについて禅定を学び、世間で最高の、禅定の境地を証悟した。

しかし、彼は、この種の、殊勝で微妙な境地に満足せず、ウルベラ(Uruvela)の苦行林に行き、閉息、断食などの方法でもって、己自身を苦しめ、苦行によって解脱を得ようとした。

6年間の極端な苦行生活を経て、菩薩はこの種の、野蛮な自虐的な行いは、徒労であり、無益であり、涅槃へ赴くことはないと気が付いた。

彼は、苦行を放棄し、簡単な食物を受け取り、かつそれを食した。

体力が回復するのを待って、菩薩はガヤー(Gayā、後のブッダガヤ)の菩提樹の木の下に来て、呼吸に専注することによって、ジャーナを得た。

ジャーナから出定した後、菩薩は、観の修行に転じ、智慧を育成し、当日の明け方、無上の仏果を証悟した。

その日は、紀元前589年太陽暦5月の満月の日であった。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-4につづく)

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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>