(3-8)
前の一刹那はすでに滅しさって、現在の刹那は壊滅している最中で、未来の刹那もまた必ず、壊滅するであろう。
これが ”無常” である。
世間の万物は皆、無常であり、それらは生・滅の脅威にさらされている為、 ”苦” (dukkha)と言う。
世間の万物は、生滅・変化の一過程に過ぎず、その中には、自由で自主的な実質または本体(=本質)を有してはいない。
それはすなわち、いわゆる ”我” ”霊魂”、”大我” 等というものは存在していないという事であり、これを ”無我”(anatta)という。
”無常、苦、無我” は、とりもなおさず生命の真相であり、世間の本質でもある。
(3-9)
第三章 己自身の煩悩を理解する
第一節 生命の因
仏教は強調する:病気には病の原因があるように、生命にも必ず因がある。しかし、生命は、いわゆる上帝(=創造神)、大梵天、大自在天が作ったものではなく、仏・菩薩が作ったものでもない。
仏教は、いわゆる上帝、創造主を認めない。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(3-10につづく)
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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>