それでは、生命の起源とは何か?
いわゆる生命、それは、生から死までの過程を言い、この過程は、また ”輪廻” (saṃsāra)または ”生死輪廻” とも言う。
生死輪廻に導き至る原因は、煩悩である。
煩悩がある時、各種各様の行為が生まれ、これらの行為は、道徳上では ”業” (kamma、行為、造作)と呼ばれる。
善き行為は善業と呼ばれ、悪い行為は、不善業または悪業と呼ばれる。
善業または不善業が、因と縁が熟する時に出会うと、必然的に相応の果報(vipāka)が齎せられる。
我々のこの心身が、毎日出会う境遇は、己の行為の結果である。
また別の言い方では、命運(=運命または、人生の成り行き)の良しあしは、我々自身が創造しているのである。我々自身は、己の行為の継承者、責任者である。
我々は、己の行為に責任を持たなければならないのである。
果あれば、必ず因あり。
生命とは、煩悩の支援の下で、己のなした業(行為)が原因で、齎された果である。
因が無いとき、果もない。
煩悩がないとき、生死輪廻もないし、苦もない。
仏教の目的は、苦の滅にあるーー苦を完全に止めることにある。
苦を滅するためには、生死を解脱せねがならず、煩悩を断滅することに尽力しなければならない。ゆえに、仏教を学び、修行する目的は、煩悩の滅尽にあるのである!
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(3-11につづく)
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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>