Sayalay's Dhamma book

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パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-21

言い換えれば、無明、愛(=渇愛)、取、行及び業が無余(=完全)に滅尽したことによって、識、名色、六処、触及び受が無余に滅尽するのである。

この種の因と果の無余なる滅尽は、苦滅聖諦または、滅諦と呼ばれる。

この種の滅諦は、観智の目標である。

実際、涅槃とは、とりもなおさず滅諦なのである。

上述の二種類の滅は、涅槃を目標とした聖道智によって生起する。

四種類の聖道智は、涅槃を目標としており、それらは、徐々に、煩悩を、無余に滅尽する。

煩悩が無余に滅尽するが故に、般涅槃の後は、何らかの蘊を生じせしめる業が存在しないため、五蘊もまた、無余に滅尽する。

しかし、ある種の弟子にとって、涅槃を理解することが非常に難しかったので、仏陀は二種類の滅のうち、どの滅も滅諦であると、説明したのである。

時には、涅槃は「無為界」(asaṅkhata dhātu)と呼ばれるが、その場合、涅槃(無為)は因で、二種類の滅は果である。滅諦は、因でもありえるし、果でもありえる。言い換えれば、無為涅槃は因で、有余涅槃及び無余涅槃は果ともいえる。有余涅槃及び無余涅槃とは何か?煩悩の無余なる滅尽は、「煩悩般涅槃」(Kilesa-Parinibbāna)または「有余涅槃」(Saupadisesa-Nibbāna、その意味はすなわち、いまだ五蘊が残存している事)と言う。

五蘊の無余なる滅尽は、「蘊般涅槃」(Khandha-Parinibbāna)または「無余涅槃」(Anupadisesa-Nibbāna)と言う。

たとえば、仏陀の煩悩の無余なる滅尽は、証悟して、仏と成った時に、発生した。

ブッダガヤ(Bodhgaya)において、彼の四種類の聖道智は、無為界(涅槃)を目標として取り、段階を追って、一切の煩悩が、無余に滅尽した。

45年の後、彼はクシナーラ(Kusinārā)で大般涅槃したが、その時、彼の五蘊は完全に、無余に滅尽したのである。

涅槃は、出世間四聖道、四聖果の目標(所縁)である。

しかし、涅槃を証悟する以前、修行者は、観禅を修習する時、必ず二種類の滅を、観の修行の目標として、取らなければならないーーそれはすなわち、煩悩の無余なる滅尽と、五蘊の無余なる滅尽である。

これらの目標を了解している観智を「生滅智」(Udaya-vaya-ñāṇa)という。

この事は、次回の法話にて説明する。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-22につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>