仏法は中道である、と言います。
中道とは何か?と問えば、四聖諦だ、と言います。
四聖諦とは何か?と問えば、苦、集、滅、道だと言います。
日常的に苦、集、滅、道を理解して、実践できれば、悟りは近いと思いますが、それとは異なる次元の話において、私は、中道に、もう一つの意味を加えてみました。
それは、<教条主義の排除>です。
仏法は、良いことをして悪いことをするな、と言います。
では、良い事とは何か?悪い事とは何か?と言えば、これが結構難しい。
仏陀は、在家の5戒と、出家戒(出家は最少で5戒、最多で比丘の227戒、比丘尼は300戒ある)を教えましたから、これに基づけば、嘘をつかない、盗まない、暴力を振るわない、邪淫を避けるなどは、仏教徒の基本の基本であることが分かります。
しかし、<小さな親切大きなお世話>と言われるように、良かれと思ってやったことが100%喜ばれるかといえば、そうとも限りません。
癌患者に余命を、嘘をつかずに、宣言していいのかどうか、ハムレット張りに悩みます。
そんな時、仏法は<教条主義を排して、現実に立脚する現実主義だ>と理解すると、少し気持ちが楽になります。
インターネット上の仏教系の論争を見ていると、若い人たちなのでしょうか、頭でっかちの感が、どうしてもいなめないのです。
仏教理論と己の現実とをすり合わせていく作業を怠ると、たちまち重篤の原理主義に陥るように思います。
そうならないためにも、誠実な仏教徒を自称するならば、頭でっかちになっていないか、教条主義に陥っていないか、時々点検してみた方がいいと思います。