Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)4-2

みなさんは、道徳品行が良い方がいいか、悪い方がよいか、どう思いますか?

道徳が地に落ちているのがよいか、高尚な方がよいですか?

心内の安定と静寂は、よい事でしょうか?悪い事でしょうか?

みなさんはイライラが好きですか?内心が落ち着いているのが好きですか?

智慧があることはよいことですか?悪い事ですか?

みなさんは智慧が好きですか、それとも無知で愚かなのが好きですか?

仏陀は、我々に以下の三学を育成するべきだと教た。

1、戒ーー道徳品行の完成;

2、定ーー心内の静寂;

3、慧ーー智慧の育成。

戒定慧の三学は、段階を追って学ぶ、すなわち、順序に従って漸進的に学ぶのである。

まず先に己の品徳を完成させる;品徳を育成したならば、次に己の心の平静にチャンレンジする;心内が平静になったならば、更に一歩を進めて、智慧を高める。

ある種の経典は、戒定慧の三学を八つの部分に分けて、それを「八聖道」と呼んでいる。すなわち、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、青念と正定である。

そのうち、正見と正思惟は慧学に属し、正語、正業と正命は戒学に属し、正精進、正念と正定は定学に属する。

すなわち、八支の聖道は、戒定慧を育成するものである、ということである。

修行を、座蒲に座って枯れゆくこと、社会の問題から逃避することと理解してはならない。いわゆる修行とは、戒、定、慧を修習し、品徳と心の安定・静けさと、智慧を育成するものである。

煩悩の根が深いために、煩悩を断つと言うことは、非常な困難を伴い、思いついたらできる、というものではなく、非常に長い過程を必要としている。

煩悩は粗いものから微細なものまで三つのレベルに分類することができる。ゆえに、修行もまた、低いレベルから高いレベルへと三つの段階に分類することができる。

それはすなわち;

1、持戒を通して、違犯性煩悩を取り除く;

2、定の修行を通して、困惑性煩悩を取り除く;

3、慧の修行を通して、潜在性煩悩を取り除く。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-3につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>