Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-40

しかし、それ(身)は念ではない:

身(=息全体)は、「打ち建てられる」とは言われるが、しかし、それを「念」とは呼ばない。身は念の目標であるが、しかし、それは正念を保持するための作為ではない。

念は打ち建てられる(処)であり、同時に念の両者である;

念がこの二者であるということは、憶念(sarana)と打ち建てられる(upaṭṭhāna)であるが故に。名身の中の念は、智の目標であると同時に、智と相応する念は、すなわち、それ(上述の念)に近づいて、それを目標として、それに安住するからである。こうしたことから、それは打ち建てられると念の両者である、と言われる。

念は、目標に投入することと、目標を持続的に憶念すること(念の両義的含意)なのである。

当該の念を通して;上述した念を通して(+という意味である)。当該の智を通して;上述した智を通して。当該の身;入息と出息の全体。その支えとなる色身、名身。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-41につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>