7-6 息の全体
次に続く経文は以下の通り:
「彼は次のように訓練する:『私は(息の)全身(=全体)を覚知して息を吸う。』彼は次のように訓練する:『私は(息の)全身(=全体)を覚知して息を吐く。』」
その意味は、彼は以下の様な考え方でもって、己自身を訓練することである:
「息を吸う時、私は、息全体の過程の始まり、途中、最後までを、明確に知るべきである。
息を吐くとき、私は、息全体の過程の始まり、途中、最後までを、明確に知るべきである。」
このように、彼は明晰な心をもってして、息の全体を明確にしるべきである。
ここにおいて、誤解して欲しくないのは、息の全体を知ろうとして、「始まり、途中、終わり」と黙然しなければならないと思う事である。実際は、同じ場所を通過する呼吸の、その最初から最後までを知っていれば、それで十分である。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-43につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>