このように、持戒を通して、一番最初の、最も粗雑な違犯性煩悩を、断つことができる。
定の修習を通して、困惑性煩悩を取り除くことができ、慧の修習によって、潜在性煩悩を取り除くことができる。
すべての煩悩は、戒・定・慧を育成することを通して、断じ、取り除くことができる。
仏教を学び、修行する目的は、煩悩を断ずることであり、煩悩を断ずる方法とは、戒・定・慧の三学に他ならない。
戒・定・慧は、仏教の最も基本的な、かつ重要な修方法である。これらを離れて、他に修行というものがある訳はない。
みなさんが煩悩を取り除きたいと思っているのであれば、戒・定・慧を育成しなければならない。この三要件を育成するのは、とりたてて困難ということはないが、ただただ、みなさんが実際に、実践するかどうか、実践を長期間持続できるかどうか、だけにかかっている。
勿論、在家者にとって、家庭があり、仕事があり、社会的責任もあるため、修行という方面において、出家者より高度なものを要求されるのは無理である。
出家者に関しては、品徳については、大衆の教師であるべきであり、持戒清浄でなければならない;(+心が)平安というレベルとしては、ジャーナを証悟しなければならない;智慧のレベルとしては、観智を修得しなければならない。
在家者は、(+出家者の修行のような)プロのようなレベルでは、できないけれども、少なくとも、アマチュアのレベルには到達するべきである!
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-14につづく)
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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>