Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)5-12

一切の行為は、みな心から始まる。生命の活動もまた同じである。

先に心が生じて(動機)、次に身体の行動と、言語表現が生まれる。

言い換えれば、身・口・意の三業の内、意業が最も重要である、ということである。

意業による主導的な作用があって、はじめて身業と、語業が生じる。

もし、動機が邪悪である時、なすこと、語ることは、みな、邪悪な、不善なものとなる。

不善業を為せば、因・縁の熟する時、苦が、不善の果報が、齎される。

もし、動機が純正であり、心の思いが清浄であるならば、なすこと、語られる事はみな、善であり、よいものとなる。

善業を為せば、因・縁の熟する時、楽が、善の果報が、齎される。

これは、まさに ”善には善の報い、悪には悪の報い” と言われるものである。

楽しい事柄、幸福の果は、つねに、善業や善き行為と関係している;

苦痛な、不幸な果は、また、つねに、悪い、善くない行為と絡まり合いながら、生起する。

善業と善報は相応しており、悪業と悪報は相応している。

これがすなわち、”業果の法則”、または ”因果律” と呼ばれるものである。

業果の法則は、独立的に運行されるものであり、それは決して、いわゆる神仏・菩薩が操作しているものではなく、また、人の願望によって変わるものでもない。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-13につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>