反対に、我々は、教えが存在していることに感謝しなければならないし、またそのほかに、法について解説してくれる教師に、心からの感謝をささげなければならない、我々は、この機会を十分に活用するのでなければ、殺されてしまうのだから。
もし、今、学ばないのであれば、我々の未来において、「法」はもう「生きたもの」ではなくなるかも知れない。
もし、我々が、能力の一切をささげて、今ここにあるチャンスを生かさないのであれば、我々の中にある善きものは、すでに死亡しているのである、と言える。
我々が、一たび、新しい事物を受け入れることができず、転換期にあっても、それを受け入れる(+心の)準備ができていないならば、心は死んでいるのと変わりがないのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-5につづく)
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<ケーマ尼「目の中の塵」中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>