Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-11

8-4-2 息が微細になった時

禅相がもうすぐ出現するかと思われる頃、多くの禅修行者は、困難に出会う。多くの修行者は、息が非常に微細に変化し、息が、はっきりしなくなることに、気が付く。

他の禅修行における業処は、レベルが上がれば上がるほど明確になっていくが、しかし、この業処(安般念)は、そのようにはならない。

実際、禅の修行者がそれを育成すればするほど、そのレベルが高くなればなるほど、(+息は)ますます微細になり、あるときなどは、まったく顕現しなくなる時もある。

しかし、それが顕現しないからといって、比丘は座席から立ち上がったり、座具を動かしたり、その後に、そこを立ち去ったりしてはいけない。

では、どのようにするべきか?

「私は指導者にこの問題を聞きに行ってみようか?」「どうしてこうなるのか?」と思って、立ち上がってはいけない。

というのも、立ち上がってそこから去ろうとする事は、姿勢に干渉が起こり、禅の修行はまた初めに戻り、一から始めなければならなくなるからである。

もし彼が、次の座禅の時に、同じような方法で息に専注すれば、彼の定力は更に一歩向上し、息は再び顕現する。

故に、彼は引き続きそこに座り続け、通常の場合において、実際に息がぶつかっていた場所を、一時的に、禅の目標とする。

ここで説明している事は(+まとめると)、以下の通りである。

もし、息が、暫定的に、あまりに微細になりすぎて、それを察知する事ができないのであれば、彼は引き続き、これまで息を感じていた鼻孔または人中を、感じ続けるようにするべきである。

こうすれば、息は再び明確になり、彼は暫定的に、禅修行を中心課題として(+己の意識内に)引き戻し、最後に息を感じていた場所を覚知して、暫定的に消えてしまった息については、注意を払わないのがよい。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-12につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>