Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★「目の中の塵」(翻訳文)1-12

ある種の人々にとっては、困難を覚える中で、必要なのは励ましと支援であり、ある種の人々にとって必要なのは、安静と反省である。

どのようであろうとも、我々はその中に、一貫して、心の汚染を消滅させる必要性であることを発見する。

結論を言えば、我々が、それを、保持したいと思えば思うほど、それは我々を傷つける。

身・口・意の浄化は処方箋であり、その薬は、精進努力であり、我々の意念を正しい道に上らせるためには、正しい言葉と行為が、同時に進行できるようにならなければならない。

もっともよいのは、我々は悪を為すことを恐れる弟子になることである。というのも、このようにして初めて、我々自身が、心霊において解脱しようとしている、その成長を阻害しないでいられるからである。

我々が、悪の行いに対して、まったくの恐れがないとしたならば、我々は、心霊の道の上における成長は、もはや期待できなくなり、それは、最終的には、自殺的行為になる。

我々は生理的な問題を言っているのではなくて、心霊上の、または感情の問題を言っているのである。

(+この世では)なんらの物事も変化せずにはいられないし、また、(+物事は)不断に変化しつづけている訳だが、成長の過程において、(+前に)進まないことは、すなわち後退であり、(+我々は)永遠に、原点にとどまり続けることはできないのである。

この種の精進、実践の中で、唯一、影響を受けるのは己自身であり、その他の人々は、周辺の景色か、または「福田」に過ぎない。

我々は、慈と悲、理解と許し、歓びを支えに、功徳を積むが、我々の心の汚染もまた、己自身で解決されるのを待っている。

我々は、己の生活に対して、賢く、巧みでなくてはならない。

我々は、自分がすでに生きて生活していることから、どのように生きていけばよいかを知っていると思っているかもしれないが、一体どれだけの人間が、いかに生くべきか、を知っているのだろうか?

一たび、心をして平静になるよう訓練するならば、心内には喜悦が充満する。我々の困惑は、それによって、益々、少なくなっていく。

それと同時に、我々には、他人を助けるチャンスがますます増えていく。

我々は、一たび、この種の、善くて巧みな方法を具備したならば、それは、生き生きとして(+己の生き様の中で)、仏陀の教えを証明したことになるのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-1につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<ケーマ尼著「「目の中の塵」中国語→日本語

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>