Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-9

上記(1-8)の偈の中には、三つの要点が含まれていて、

そのうちの二点は、戒の範疇に属するものである:

一、不作諸悪ーー

身業に関して:不殺生、不偸盗、不邪淫;

口業に関して:不妄語、不両舌、不悪口、不綺語;

意業に関して:不貪婪、不瞋恚、不邪見。

二、善行の実践ーー

身業に関して:衆生の保護、布施、貞節;

口業に関して:誠実語、和合語、柔軟語、利益語;

意業に関して:出離、慈愛、正見。

三、清浄自心ーー一人の人間が、不作諸悪と、善行の実践という基礎を兼ね備えたならば、彼は、更に一歩進んで、諸仏のさらなる殊勝な教法を修行する必要があるが、それは、清浄自心である。

では、清浄自心とは何か?

それは止禅と観禅を通して、心内の煩悩を取り除き、涅槃の実相を徹底的に見て、究極解脱することである。

◆結論:

(一)戒は以下を含む:

1、不作諸悪;

2、善行の実践。

(二)戒清浄の修習は、修行者に心の無愧を齎す。この聖潔な心は、定を修習する基礎となる。

定とは何か

我々は、まず、先に、心清浄の育成とは何か、を考えるうえで、いくつかの問題を提議してみたいと思う。

問題一:

「定」とは何か?

回答一:

善き心による、一境への専注を「定」と言う。

《清浄道論・第三品・第二段》

多くの人々は、「定とは何か?定とは、善なる心による、一境への専注である」という所まで読むと、即刻、心による、一境への専注に思い至り、「善なる」の二文字の重要性を、おざなりにしてしまう。

≪中部・第44小方広経≫の中で、以下のような対話があったではないか?

ヴィサーカ(Visākha)居士が、「定とは何か?」と聞いた時、法施(Dhammadinnā)阿羅漢比丘尼は、以下のように回答した「定は心の一境への専注である」。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-10につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。 

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>