Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-10

それならば、定を「(+心が)安定していて、不変である」状態であると定義して、間違ってはいないのではないか?

重要なキーポイントは、それは必ず「善なる」でなければならない、という事である。

上記の事柄は、我々に対して、以下の事を正確に認識する必要がある、と教えているのである:

我々がまさに育成しようとしている定は、利益のある定でなければならない、と。

そして、あなたは疑問に思う:

利益のある定とは何か?

利益のない定とは何か?

定とは(+心の)安定した状態を指すが、しかし、安定した状態には二種類ある:

一種類は、活力が充満し、全体が調和した都市のように、(+心が)調和しているが為に、安定している。

はっきりしている事は、我々は、死んで静かになった都市は、必要としない。

我々が欲するのは、生気と活気に満ち溢れた都市、そして、政治的、経済的、社会的動乱のない都市である。

真実、我々を利益するのは、活力のある安定性である。

老いて古くなった都市は、見た限りでは安定しているが、しかし、我々にとって、まったくの無用の長物なのである。

それのもつ安定性は、死んだ安定性、死んだ静寂であり、何の利益も、齎さない。

「善なる」という、この重要な文字を無視したために、多くの人々は、定を修習するとき、多くの問題に遭遇する。

非常に多くの修行者は、以下のような間違った見解を持っている:

定が、心の一境性への専注ならば、心をば「冷凍」してしまえばいいのだ、と。

いかにも、彼らがこのように定を修習する時、定力をば、確実に手に入れる事はできるが、しかし、それは、利益を齎さない定なのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-11つづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>