wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-12

◆結論:

(一)定が「安定して、かつ活力に満ちている」状態である時、我々は、それを「正定」と呼ぶ。

(二)多くの修行者は、彼らの心を凍結するか、または彼らの修行の目標を凍結して、そのことによって、安定性を得ようとする傾向がある。しかしながら、これは一種の、利益の無い定であり、我々は、それを「邪定」と呼ぶ。

(三)正確な修行方法は:

毎回、あなたが定を修習する時、ただ、心をして、自然にリラックスさせる。

徐々に訓練することを通して、心と目標は、ますます調和して来るが、この時、(+心の)深い所での安定と、自在な状態が形成される。

これがいわゆる「善なる心の一境性への専注」である。

定の含意

問題二:「定」の含意とは何か?

回答二:「定」とは、平等に放置することである。

「平等に放置する」とは何か?

それは、心と心所(通常、両者は、合わせて心と呼ばれる)が、単一の目標(所縁と訳されることもある)において、平等に、正確に、放置されて、かつ、保持される事(通常、専注と言う)。

《清浄道論・第三章・第三段》

第一級の修行者は、上に述べた内容を、如何にして正確に、理解することができるだろうか?

あなたは、今、まさに努力して定に向かおうとしている。故に、あなたが、一日ごとに、心をして単一の目標(所縁)に専注することができるようになっているようであるならば、あなたは正確な道の上を歩いているのだと言える。

訓練の段階では、あなたは順序に従って、徐々に進むべきで、初めからいきなり、心を単一の目標(所縁)に専注させることはできない。

次に、あなたは以下の二つの点に関して、深く理解しなければならない。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1ー13につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>