Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~生きててよかった(笑)

子供の頃から仏教が好きで、色々な仏教書を、手当り次第、読んでいた私。

で、日本の禅僧が、自著の中で、<非想非非想処(禅)>について、「想像もできない境地」と書いてあったのを読んで、子供心に、「高僧の理解できない境地って何?」「非想非非想処とは言っても、それは言葉だけ存在していて、実体はないの?」と、思ったものですが・・・。

本日、パオ・セヤドーの「顕正法蔵」P63 を翻訳していて、「あっ、長年の疑問が、今、解けた!」と思いました(No.5-20 参照の事)。

<非想非非想処(禅)>は、「禅」という言葉がつくくらいで、ジャーナの一種です(今さっき、翻訳したばかりの、受け売りです~笑)。

で、修行者が、深い深いジャーナに入って、非想すなわち、何も想っていないかというと、そんなことはなくて、非・非想、すなわち、な~~にも想っていない、といえばそれは言いすぎになる、少しは想っているよ~という具合。

非想非非想を分解すると、非想は、想っていない。それの前に<非>を付けて、非非想にすると、想っていないという事は、ない。すなわち、少しは想っている、非常に微細ながら、微かに想っている、ということなのですねぇ。

納得。

インド人の言葉の使い方は難しいですねぇ。

四禅八定は、12種類の禅と定の事かと思えば、四禅と四定で、8種類だったりする・・・四苦八苦もそうですよね、12個の苦じゃなくて、8個・・・0を発見したインド人は、言葉や数字の表現が細かい、イヤ、独特過ぎる・・・^^;

12、3歳の頃にもった疑問を、68歳で解く。

生きててよかった(笑)。

最後に、パオ・セヤドーの緬甸語・英語版著書にある<非想非非想処(禅)>を、明快な中国語に翻訳して下さった、お弟子さん達に感謝、です!