Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-20

故に、定を修する時、我々の重点は「不散乱」「散乱の除去」「不動揺」に置くのではなくて、「楽しさ」に置くべきである。

「不散乱」「散乱の除去」「不動揺」は、すべて定の修習の結果であり、「楽しさ」こそが、定の原因、源なのである。

定を修する結果とは、定そのものであり、それは三つの方面から理解することができる:

それの特徴から理解する時、それは「不動揺」である;

それの作用から理解する時、それは「散乱の除去」であり;

顕現された状態から見ると、それは「不動揺」である。

しかし、定の修習の過程においては、我々は、定の原因、源(近因、+直接原因)を育成するべきであって、その結果を育成するのでは、ないのである。

二つ目の誤解・盲点は:

我々は「定の特徴とは不散乱である」と連想した時、我々は非常に、心に雑念が生じるのを恐れる様になる。

そして、我々は、修行の目標を凍結し、固定化し、以下のように思いなす:

「今、私には雑念がなく、ただ単一の目標のみがある。故に私は、不散乱というこの種の特徴を具備しており、私は将に、定力を育成しつつある」と。

しかし、あなたがそのように実践する時、あなたは定の特徴を育成しているのであって、定の近因を育成しているのではないのである。

実際に、あなたが実践しなければならないのは、あなたの心をして、益々、修行(+の楽しみ)を享受することである。

あなたの心が、益々修行を楽しむことが出来て初めて、あなたの心は自然に、不散乱の特徴を具備する定を、生じせしめることができる。

故に、あなたは、特徴を育成してはならず、近因を育成しなければならない。

楽しさがある時初めて、あなたの心は、不散乱の特徴を持つ定に入るのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-21につづく)

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>