世の中には『怒ってはいけない』と題された本が、たくさん出版されています。
私は、意識的に、そのどれをも、読むことはしません。
読んでいないので、内容の良しあしは分かりませんし、本についての批判をしているわけではありませんが、どんなに良い本であっても、それが正論であればあるほど、それを読んで、自分が、教条的になるのが怖いのです。
「怒ってはいけない」という、特に仏教で強調されるこのフレーズは、金科玉条、葵の御紋です。これを言われると、仏教徒としては、グーの音も出ません。
でも、私は、私はなぜ怒るのか、どういう時に怒るのか、どういう時に怒りは静まり、どういう時に怒りは静まらないのか?を観察して、いつの日にか、本当に真実「怒らない人」または「微細には怒るけれど、生じた怒りを、自分の内部で簡単に処理できる人(二矢を受けない人)」になりたいな、と思っています。
それには時間が掛かります、促成栽培ではできないのです。
「怒ってはいけない」というスローガンは、スローガンである以上は、私には役に立たないし、教条的になれば、役に立たないどころか、毒になる場合もあります。
仏教に、イエス・マンはいらない。