Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-37

8-6-2-4 定あるいは一境性

定(samādhi)あるいは一境性(ekaggatā)とは、もう一つ別の心所(cetasika)であり、それは必ずや、一つ毎の心(citta)と同時に生起する7つの遍一切心心所の内の一つである。

心の特徴は、目標を認識する事であり、故に、生起した一個ごとの心は、必ず目標を必要とする。縁によって目標を取らない、如何なる心も存在しないし、また、一個の心は、一個の目標を取る事しか、できないのである。

一境性の作用は、一個の目標に専注することである。たとえば、眼識は、ただ色塵を認識することができるだけであって、他の目標を認識することは、できない。そして、(これと相応する)一境性は、すなわち、色塵に専注するのである。

耳識は、声塵しか認識することができず、色塵やその他の目標を認識することはできず、(これと相応する)一境性はすなわち、声塵に専注するのである。

一境性は、心と目標が結合して一境になる。それは、ジャーナにおいて、禅支になった時にだけ、顕著になるが、諸々の論師は、一切心の中、たとえ最も基本的な心においてさえも、それ(=一境性)は、心をして専一にしむける能力を有しており、心を目標に専注させる作用を執行すると、考えている。

その性質は、不散乱であり;作用は、相応の法の統一であり;現象は、平静であり;近因(=直接原因)は、楽である。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-38につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>